ヤマガタンver9 > ヤマガタンコンテンツ

Powered by samidare

▼ヤマガタンコンテンツ

▼マーク

越後米沢街道・十三峠(えちごよねざわかいどう・じゅうさ..

越後米沢街道・十三峠は、大永元年(1520)に伊達14代の稙宗(たねむね)により、大里峠が開かれたのが始まりです。明治11年(18..

越後米沢街道・十三峠(えちごよねざわかいどう・じゅうさ..:2007.11.06
▼マーク

小国城址(おぐにじょうし)

小国城は中世の平城で、北は横川の断崖に臨み、東、南、西の三方には巨大な濠と土塁をめぐらせていました。現在は僅かに土塁と雑草の生える..

小国城址(おぐにじょうし):2007.11.06
▼マーク

亀岡文殊堂(かめおかもんじゅどう)

京都の切戸の文殊、奈良の安倍の文殊とともに日本三文殊の一つとして有名です。慶長7年(1602)、兼続が実弟の大国実頼や安田能元、岩..

亀岡文殊堂(かめおかもんじゅどう):2007.11.06
▼マーク

熊野大社(くまのたいしゃ)

日本三熊野の一つに数えられ、東北のお伊勢として信仰を集めています。江戸時代初期、北条郷(南陽市)代官の安部右馬助綱吉、息子・綱正が..

熊野大社(くまのたいしゃ):2007.11.06
▼マーク

總宮神社(そうみやじんじゃ)

上杉氏が越後から会津に移封され、直江兼続が米沢城に入りました。その際、「總宮神社」に参拝し、杉を植え(直江杉)刀剣を奉献したと伝え..

總宮神社(そうみやじんじゃ):2007.11.06
▼マーク

・・・昨日は特番だったみたいです

威勢良く書き込みしましたが、ちょっと違っていました。間違いなく収録はしたそうなので、また来週もチェックですね。情報元もチェックして..

・・・昨日は特番だったみたいです:2007.11.06
▼マーク

宮坂考古館(みやさかこうこかん)

初代館長・宮坂善助氏が収集した米沢・置賜地方の考古学資料や藩政歴史・民俗資料など約700点を収蔵しています。とりわけ刀剣、槍、米沢..

宮坂考古館(みやさかこうこかん):2007.11.05
▼マーク

五色温泉(ごしきおんせん)※廃業

慶長14年(1609)、眼を患った某僧が五色の湯に入って治ったという話を耳にした直江兼続は、生来病弱で両眼を病んでいた嫡子景明のた..

五色温泉(ごしきおんせん)※廃業:2007.11.05
▼マーク

鉄砲鍛造遺跡の碑(てっぽうたんぞういせきのひ)

慶長9年(1604)、直江兼続は江州国友村と泉州堺から鉄砲職人を呼び寄せ、ここ白布高湯で密かに火縄銃を作らせ、戦時に備えました。白..

鉄砲鍛造遺跡の碑(てっぽうたんぞういせきのひ):2007.11.05
▼マーク

堀立川(ほったてがわ)

三の丸の西および北の外堀代用として、慶長14年(1609)、家臣の平林氏に命じて拡幅し、掘り拡げた川です。新田開発・生活用水・農業..

堀立川(ほったてがわ):2007.11.05
▼マーク

木場川(きばがわ)

綱木・田沢・梁沢など鬼面川の上流から、薪木を運ぶために掘られた川です。上流の山間から流された薪木は帯刀堰から木場川に入り、木場町の..

木場川(きばがわ):2007.11.05
▼マーク

帯刀堰(たいとうぜき)

大頭堰または西川堰とも呼ばれ、舘山城の外堀の跡を利用して堀削されたものです。帯刀堰の名は、直江兼続の家臣たちが帯刀のままで工事に参..

帯刀堰(たいとうぜき):2007.11.05
▼マーク

白旗松原(しらはたまつばら)

慶長年間、城東の山上村、城南の南原窪倉に植林をしました。白旗松と呼ばれる赤松の一種で、枝は弾力性があり雪折れが少なく、幹は真直ぐに..

白旗松原(しらはたまつばら):2007.11.05
▼マーク

武家屋敷(ぶけやしき)

米沢藩の下級武士(原方衆と呼ばれる)が暮らした屋敷が、米沢市南部の各地区(主に芳泉町・石垣町・通町)に数多く現存しています。上杉家..

武家屋敷(ぶけやしき):2007.11.05
▼マーク

龍師火帝の碑(りょうしかていのひ)

猿尾堰の取水口近くに立つ巨碑で「龍師火帝」の文字が刻まれています。「龍師」は水神、「火帝」は火神を意味し、直江兼続が猿尾堰の鎮守と..

龍師火帝の碑(りょうしかていのひ):2007.11.05
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
ページTOPへ戻る